最初の日記
2002年8月31日夏休みが残り1日となった。
目を覚ますとすでに午後一時だった。
空には少し雲はあるが、晴天と言ってもいいぐらいの青空だった。
風が少し強く、涼しいとまでは言えないがいつもよりはすごしやすい日になりそうだ。
サッシを開けると、田んぼの稲の緑と並木のそれとが目に映った。
田舎町だが、それでもいいかなと思えるようになったのは今年の初夏からだった。
携帯電話の液晶画面を覗くと、新着メールが来ていた。
――――――――――――――――――――――
最近、どうも「他人は自分を分かってくれない。分かろうとしない。それならもういい。」みたいなことを平気で主張する若い人(中高生ばかり)がよく目に付きます。僕だってそう思ったときがあります。
さて、容赦無く主張しまくる彼らと過去の僕に、現在の僕から主張させていただきます。
――笑わせんじゃねーよバカヤロー。あんたらこそ他人のことを真剣に理解しようとしましたか?できましたか?しようと思いましたか? 無理だろ。なにが「理解してくれない」だ?寝言は布団の中で言え。 あんたらは他人の心を理解できるほどのモノをもっているつもりなのですか?何、それを自慢するように「俺を理解することはできない」とかおっしゃられているのか、全く、仕方が無い幼稚な人ばかりです。
さらに、こう言う人たちにの中に、顕著に見られることがありますね。
自分は特別だ。自分は他人よりもずっとずっと繊細な心の持ち主なんだ。自分はアイツラにないモノがあるんだ。あいつらは生きることなんて何にも考えてやいない。ただ生きてるだけだ。平和な奴らだよ。あー、鬱だなぁ。俺はこんなにムヅカシイのに。
・・・・爆笑!あんたら、何かのお話のキャラクターにでもなったつもりですか??ああ、おかしい。
言っておきます。あんたらは何も特別なものを持ち合わしちゃあいないんですよ。あんたらが思っているその「特別で他人よりも勝っているモノ」はですね、実はただの「病気の症状」みたいなものなのです。ウイルスと言うやつですか?一体誰がはやらしたのでしょうねぇ?
何、「文学かぶれ」な事を書いたりして自分の考えを主張してるんでしょうか?僕から見れば、こういうのはただの「自己満足」にしか思えませんねぇ。自己満足のことをマスターベーションだぁ!って言ったりしますよね?それに、何やら、こういう主張してる人って男が多いですよねぇ?
貴様ら男共!(過去の僕も含めて)エロ本片手に自分のチンポこすりながらよく頭冷やしなさいっ!女の人、すいませんね。 それと、ことさら難しいコト書いて、さも゛自分にはこういう才能があるんだ”みたいなこと思ってる人いるでしょう?僕いわく、あんたらのソレは何の文学コンクールの一次選考にだって通りやしないです。
さて、少し本題から反れたので戻りましょう。 はい、あんたらは自分を理解してくれて、何か詩的な事を言う人と出会うのを待ってたりするんじゃないでしょうか?ギクっとした人、いるでしょう?
結論です。今の年頃のあんたらや僕は中途半端に幼いです。中途半端に幼いゆえ、表現が不器用なのに、感受性が強いという、不均衡な精神状態であるわけです。だから、分かってくれないやら何やらと、強く受動的になってしまって言うんです。でもそうだからといって、それをバカみたいに誇張して表現するのは甘え過ぎです。この時点ですでに、「僕は一人なんだ」とか言ってるアナタは、知らず知らずのうちに人に甘えているのです。おわかりになって?
考えてもみてください。いい歳した大人と、僕やあんたらの年頃の少年少女のどちらがよく、そういうことをブツブツ愚痴ったり主張したりしていますか? 当然、答えは後者です。これさえ分からなかった人はさっさとお勉強して飯食って風呂入って寝なさい。さようなら。
ここで一つ、例外について話しましょう。 こういう無責任で傲慢な主張をするするだけして自分で満足している人と、主張は同じだが、単なる自己満足ヤロウではない人との違い。
前者はするだけして逃げます。後者は、その主張の中の要素を短いながらもイロイロと思考し、矛盾するモノを通して、少々不確かであっても、客観的によい、新たな考えを結果的に見出します。
こういう弁証法的思考ができる人を僕は賞賛し、尊敬します。
目を覚ますとすでに午後一時だった。
空には少し雲はあるが、晴天と言ってもいいぐらいの青空だった。
風が少し強く、涼しいとまでは言えないがいつもよりはすごしやすい日になりそうだ。
サッシを開けると、田んぼの稲の緑と並木のそれとが目に映った。
田舎町だが、それでもいいかなと思えるようになったのは今年の初夏からだった。
携帯電話の液晶画面を覗くと、新着メールが来ていた。
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最近、どうも「他人は自分を分かってくれない。分かろうとしない。それならもういい。」みたいなことを平気で主張する若い人(中高生ばかり)がよく目に付きます。僕だってそう思ったときがあります。
さて、容赦無く主張しまくる彼らと過去の僕に、現在の僕から主張させていただきます。
――笑わせんじゃねーよバカヤロー。あんたらこそ他人のことを真剣に理解しようとしましたか?できましたか?しようと思いましたか? 無理だろ。なにが「理解してくれない」だ?寝言は布団の中で言え。 あんたらは他人の心を理解できるほどのモノをもっているつもりなのですか?何、それを自慢するように「俺を理解することはできない」とかおっしゃられているのか、全く、仕方が無い幼稚な人ばかりです。
さらに、こう言う人たちにの中に、顕著に見られることがありますね。
自分は特別だ。自分は他人よりもずっとずっと繊細な心の持ち主なんだ。自分はアイツラにないモノがあるんだ。あいつらは生きることなんて何にも考えてやいない。ただ生きてるだけだ。平和な奴らだよ。あー、鬱だなぁ。俺はこんなにムヅカシイのに。
・・・・爆笑!あんたら、何かのお話のキャラクターにでもなったつもりですか??ああ、おかしい。
言っておきます。あんたらは何も特別なものを持ち合わしちゃあいないんですよ。あんたらが思っているその「特別で他人よりも勝っているモノ」はですね、実はただの「病気の症状」みたいなものなのです。ウイルスと言うやつですか?一体誰がはやらしたのでしょうねぇ?
何、「文学かぶれ」な事を書いたりして自分の考えを主張してるんでしょうか?僕から見れば、こういうのはただの「自己満足」にしか思えませんねぇ。自己満足のことをマスターベーションだぁ!って言ったりしますよね?それに、何やら、こういう主張してる人って男が多いですよねぇ?
貴様ら男共!(過去の僕も含めて)エロ本片手に自分のチンポこすりながらよく頭冷やしなさいっ!女の人、すいませんね。 それと、ことさら難しいコト書いて、さも゛自分にはこういう才能があるんだ”みたいなこと思ってる人いるでしょう?僕いわく、あんたらのソレは何の文学コンクールの一次選考にだって通りやしないです。
さて、少し本題から反れたので戻りましょう。 はい、あんたらは自分を理解してくれて、何か詩的な事を言う人と出会うのを待ってたりするんじゃないでしょうか?ギクっとした人、いるでしょう?
結論です。今の年頃のあんたらや僕は中途半端に幼いです。中途半端に幼いゆえ、表現が不器用なのに、感受性が強いという、不均衡な精神状態であるわけです。だから、分かってくれないやら何やらと、強く受動的になってしまって言うんです。でもそうだからといって、それをバカみたいに誇張して表現するのは甘え過ぎです。この時点ですでに、「僕は一人なんだ」とか言ってるアナタは、知らず知らずのうちに人に甘えているのです。おわかりになって?
考えてもみてください。いい歳した大人と、僕やあんたらの年頃の少年少女のどちらがよく、そういうことをブツブツ愚痴ったり主張したりしていますか? 当然、答えは後者です。これさえ分からなかった人はさっさとお勉強して飯食って風呂入って寝なさい。さようなら。
ここで一つ、例外について話しましょう。 こういう無責任で傲慢な主張をするするだけして自分で満足している人と、主張は同じだが、単なる自己満足ヤロウではない人との違い。
前者はするだけして逃げます。後者は、その主張の中の要素を短いながらもイロイロと思考し、矛盾するモノを通して、少々不確かであっても、客観的によい、新たな考えを結果的に見出します。
こういう弁証法的思考ができる人を僕は賞賛し、尊敬します。
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